ニュージーランド 公立高校進学プログラム Darfield High School
渡航者プロフィール | |
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留学先 | ニュージーランド 南島 |
氏名 | 石田 ほのか (女性) |
年齢 | 15歳 |
滞在期間 | 2013年5月~2015年12月(2年8か月) |
参加プログラム名 | Darfield High School |
滞在方法 | ホームステイ |
関連リンク | http://www.kaigaikyoiku.jp/nz/ |
留学したきっかけ・理由を教えてください。
最初のきっかけは父も家で父のお客様と電話をしていると英語で話しているところを小さい時から耳にしていたので、将来英語が話せる人になりたいなと思っていました。そんな時中学校の三年生の時学校に行けなくなってしまって進路に迷っている時に、母から私の叔父が学生時代留学していたことを聞いていたので、私も留学したいな思うようになりました。そこで、留学について友達に聞いたりネットで調べていたら海外教育研究所を見つけて実際にお話を聞いて留学をする決意をしました。
学校生活で最も印象に残っていることを教えてください。
やっぱり、一番印象残っていることは最初にホームステイ先に到着した時です。自分でもまさか、そのホストファミリーの家に三年間ずっとステイすることになるとは思いませんでした。そのほかには、ありふれたことですが日本のは違うライフスタイルのニュージーランドで過ごした学校での生活が今ではとても印象に残っています。
滞在先(ホームステイ)で印象に残っているエピソードを教えてください。
私はホームステイ先でいろいろな家事をしていた方だと思うので、その毎日ホストマザーと家事について話していたことはとても印象に残っています。冬の長期休みなどは昼間にホストファザーもマザーも家にいないので、自分で薪ストーブの薪を割りに行ったり、火を点けたりしていたことが印象に残っています。ほかには、月に一回ほどハンティングやフィッシングに連れて行ってもらっていたことも印象に残っています。
参加した課外活動について詳しく教えてください。
家が学校から離れていたので正規のクラブには入ってませんでしたが、yr13の時インターナショナルの先生がバトミントンのラケットなどを学校に持ってきてくれてそれをお昼休みや放課後に友達としていました。あとは、yr13のときにクライストチャーチで年に一度行われるJapan Dayのボランティアや、SPCAという動物保護団体の募金活動にも参加していました。
留学中、どのような友人ができましたか?
私は社交的な方ではなかったので、最初は同じ留学生のホストシスターの友達や、日本人の子と話していました。しばらく経って英語に慣れてきたらだんだん自分からも話しかけられるようになり、フランスからの留学生と仲良くなったりもしました。
留学中、どのようなことで最も困りましたか?又、その点をどうやって克服したか教えてください。
私が最初に困ったことは食生活の違いです。初めてホームステイ先に到着したとき現地のサポートの人とホストマザーと話して嫌いなものなのを教えたのですが、それでも慣れない食事で体調が悪くなり、ホームシックになったことが一番辛かったです。ですが、時間が経つにつれて食事にも英語にもなれてきて自分でおにぎりなども作るようになり、食生活の問題は解決することができました。日本に帰ってきた今でもニュージーランドでホストマザーが作ってくれた食事が恋しく自分で作ってみたりもしています。
日本の学校や生活と大きく異なると感じた点を詳しく教えてください。
まず、生活のリズムが全く違うと思いました。学生なら部活はないし遠くに住んでいる人が大半だったので9割の学生が3時15分には下校するので午後にたくさん時間があります。私は郊外の学校だったので遊びに行くところなどもなく遊びまわるということはほぼありませんでした。さらに、私のホストファミリーは夕方前には帰宅をして夕飯の時間までガーデニングをしたり家の掃除をしていました。そんなこともあり、日本の夜まで部活や学校の行ったりして疲れて帰ってきて寝るだけ、休みの日は体を休ませるために出かけないということがなくのびのびと生活することができました。
留学して良かったと思うことを教えてください。
3年間ニュージーランドにいたことによって自分に自信が持てるようになりました。特に今まで特別自信があるわけでもないわけでもありませんでしたが、日本にいた頃より胸を張っていられるようになったと思います。加えて、日本にいた頃より社交的になったと感じます。人見知りしていますところが自分の短所だと思っていたので私のなかではこれが一番大きいと思います。
帰国後、日本の学校または生活において苦労や違和感を感じたことはありますか?
たまに日本語の単語が出てこないことがたまにありました。
これから留学する後輩たちにどんな言葉をかけてあげたいですか?
ホームステイをするならホストファミリーと仲良くなることがとても重要だと私は思うので、家の手伝いなどをたくさんして仲良くなるように努力することが大切だと思います。
帰国子女枠受験について:いつ頃からどのような準備を行いましたか?又、志望校はどのように決めましたか?
志望校は留学する前からなんとなくではありますが考えていました。そして、高校2年生の終わりから、それぞれの志望校の帰国生入試の内容について調べはじめて、TOEICなどの受験も始めました。4月くらいからは塾にも通い始め小論文の勉強も始めました。6月にはほとんどの大学の最新の受験要項が出るので、大学のホームページなどもよくチェックしていました。
日本での大学進学を決めた理由は何ですか?
経済学について学んで、税理士の資格を取ることが将来の夢で海外には税理士の資格がないので日本の大学に進学を決めました。私の進学する大学には日本の大学に在籍しながらもロンドン大学の授業を受けることができ、学位も取ることができるプログラムがあるので、この大学へ進学すれば英語にも勉強できて資格の勉強もすることができるので海外の大学に進学するよりも日本の台がの方が自分へのメリットが大きいと思いました。
受験に際し、留学経験がどのような点でプラスに評価されたと思いますか?
私は英語重視型受験のなかの帰国生枠だったので、一緒受験していた日本の学生より英語が得意だったので筆記試験でも面接でもアピールすることができました。それ以外にも日本の高校生に混じって受験したのでニュージーランドの制服が目立って制服について面接で質問され、話が盛り上がったりもしたのでリラックスして面接することができました。
親御様より 娘の3年間の留学を終えて
2015年12月6日 Darfield High School の卒業式に出席するためにニュージーランドを訪れていた私どもと共に日本に帰国し、娘の高校3年間の留学生活が無事終了しました。 中学3年生の夏に娘が留学したいと言い出した時にはびっくりもしましたが、親類に海外生活経験者が複数居りましたのでそんなに困惑はしませんでした。ただ、準備期間はあまりありませんでしたので、海外教育研究所のみなさんに相談に乗っていただき大変心強く感じました。また、必要書類や出発までにやるべき勉強などの情報も的確に指示していただきました。 少し不安げな表情で日本を飛び立った娘ですが、初めの2~3週間は大変だったようです。知らない土地・家・学校で、まだ英語も少ししかわからず、食事も日本とは違うので喉を通らなかったようです。一週間経ったころにはホームシックになり、泣いて電話してきたこともありました。その時ばかりは励ましながらもこちらも泣いてしまいました。 幸い日本人の同級生がいましたので、週末お泊りに誘ってくれたりして徐々にNZの生活に慣れていったようです。 また、ホームステイ先の御家族にも恵まれ、娘がホームシックの時にもとても心配してくださったようです。結局3年間そのお宅にお世話になりました。本当の娘のように可愛がってくださり、とても感謝しています。娘も、また会いにNZに行きたいと申しております。 昔と違い、今はSNSで気軽に連絡が取れますので、子どもの様子がわからなくて不安になることはありませんでした。逆に、あれ送ってこれ送ってと連絡が来るので、辟易したくらいです(笑)。 困った時にこちらに連絡してくることもあったでしょうが、学校の担当者やホームステイ先のお父さん・お母さん、海外教育研究所の現地担当者の方などに相談しながら困難を乗り越えていったようです。 3年間の留学を終えて、娘は大きく成長しました。いろいろなことを自分で解決しようと取り組む力がつき、日常生活でも身の回りのことを自分ですることが習慣になったようです。 さらに、周りの人たちのために自分がしてあげられることは何か、ということを考えながら行動するようになりました。 自然豊かな環境の中で暖かな人たちに囲まれて過ごした3年間は、娘にとっても親にとってもとても有意義なものだったと思います。